Sweet Sweet  〜『鬼 灯』サマ、粕谷深紘様より。


 お隣さん設定で「キュウゾウにスフレを作ってあげる島田さん」
(注)これはパラレルにおいてあるお隣さんシリーズの設定で書かれています。
   カンベエは作家で、( 旧友のシチロージは、馴染みの出版社の編集員。)
   越して来たマンションのお隣りに住んでいたのが、
   少々エキセントリックな青年キュウゾウ…という、
   現代劇パラレルですvv


        ◇◇


「膨らませるのが難しい? カルメ焼きのようなものなのか?」
「? カルメ焼き?」
「カンベエ様、キュウゾウくんの世代には何の事やら判りませんよ、その例え」

 雑誌から顔を上げてシチロージが呆れたような視線を向ける。いや、むしろこれは気の毒そうな視線か。

「これは、ス・フ・レ。フランス語の『吹く』って言葉が語源なんですよ。メインディッシュでもデザートとしても食べられますけど、まあ一般的にはお菓子の分類に入りますかね」
「そうなのか」

 顎鬚をぽりぽりと掻きながらカンベエは答えた。さすが敏腕編集者、見識が広い。雑誌のスウィーツ特集を前に盛り上がるシチロージとキュウゾウの輪に入っていけず、とりあえず思ったことを口にしたらかなりの勢いで外してしまったらしい。
 どちらかというとカンベエは洋菓子よりも塩大福とか栗羊羹などを好む和菓子派で、横文字のやたらとカラフルでまるで玩具のような洋菓子類は敷居が高かったりする。

「メレンゲを生地に入れてオーブンで焼くんですけど、膨らませるのが難しいうえに出来てすぐに食べないとしぼんじゃうんですよ。そうだ、せっかくだから、作ってやったらどうですか?」

 言いながら、シチロージは意味ありげにキッチンのほうを見やる。最近カンベエが真新しいオーブンを購入し、グラタンだのローストチキンだのの調理に勤しんでいるのを茶化しての行為だろう。喜んで食べてくれる相手が出来たおかげで、うっかり料理の楽しさに目覚めてしまったカンベエだった。
 シチロージの言葉にキュウゾウが期待に満ちた視線を向ける。

「悪いが、この手のやつは少々苦手でな」

 シチロージの指し示した雑誌の写真は割合にシンプルで、それほどごてごてと飾り立てられたものではなく、いかにもオーソドックスな焼き菓子といった感じだった。
 いわゆる家庭料理とお菓子作りの最大の違いは、求められる分量の正確さだろう。慣れてしまえば目分量での味付けで融通の利く料理と違って、菓子作りの場合はその分量の正確さが命だ。きっちりかっちり記述された通りの分量を守らないと上手く出来上がらない。

「プリン程度ならいいが、さすがにスポンジケーキの類はな」
「そうですか」

 苦笑するカンベエをキュウゾウが少し不満げな表情で見ていた。





 玄関のドアを開け、長い付き合いになる友人の姿を見てシチロージはしばし立ち尽くした。

「スフレ、作ってみようかと思ってな」

 昨日の今日であっさりと前言を翻したカンベエは、明るいオレンジの地に黄色いヒヨコのアップリケがついたエプロン姿で友人を出迎えた。ヒヨコの背中部分はポケットとなっており小物が入れられるようになっている。これは面白半分でシチロージが贈ったものだったが、それを平然と着こなしてくれるくらいはカンベエは度量の大きい男だった。
 ただ、シチロージを立ち尽くさせた最大の要素はこんなことではない。

「どうしたんですか、その片面パンダ。いや、だいたい想像はつきますけど・・・」

 カンベエの右目の周りには見事なまでにくっきりとした青痣がひとつ、ついていた。これが両目ならば、立派なパンダ、もしくはタヌキだ。

「――まあ、いろいろとな。それで?」
「ええ、頼まれたものは買ってきましたよ」

 部屋の中ではヒヨコのエプロンを平然と着こなすカンベエでも、この片方だけでのパンダ顔で買出しに出るのはさすがに憚られたのだろう。買ってきた品々をカンベエに手渡しながらシチロージは笑った。

「さすがに若い子はやることが激しいですね」
「うむ、腰の入ったいい正拳付きだった」

 惚気なのかただの天然なのかよくわからないことを言うカンベエの髪はこれから調理にあたる為か後ろに束ねられている。そこからどう足掻いても自分でつけるのは無理だろうという位置に歯形がついているのが見えた。

「ま、カンベエ様も程々に。健闘を祈ります」

 激励の言葉を残して去った友人を見送るとカンベエはリビングへと足を向けた。
 ソファーの上には特大サイズのクマのぬいぐるみがでんと居座り、そのふわふわふかふかなお腹の上にキュウゾウが突っ伏している。

「キュウゾウ」
「・・・・・」
「そろそろ機嫌を直してくれんか」
「・・・・・」

 少しだけ顔を動かし、紅い目でじろりとカンベエを一瞥すると再びクマのお腹に顔を埋めてしまう。シャツから覗いた白い首筋には花びらのように赤い痕が点々とついていた。
 朝からこんな調子で口をきいてくれない。どうやらかなりの御立腹のようだ。とはいえ自分の部屋に閉じこもらず、カンベエの部屋の真ん中でいかにも「私は怒ってます」的なアピールをしてくるということは、まだ交渉の余地はあるのだろう。となれば行動で誠意を示すまでだ。

 カンベエはシチロージに調達してもらった材料を手にキッチンへ引っ込んだ。
 計量スプーンに計量カップ、そして秤。普段はあまり使わない品々をテーブルの上に並べ、レシピとにらめっこしながら作業に取り掛かる。

 バターは室温で柔らかくしおき、オーブンを温め、湯煎用のお湯を沸かす。薄力粉をふるいにかける際、少々勢いよくやりすぎたのか粉があたりに舞い上がり、カンベエはごほっとむせた。
 柔らかくなったバターに薄力粉と牛乳・卵黄を加え、ダマが出来ないよう丁寧に練り上げる。メレンゲを作るのに最初勝手がわからず苦労したが、角が立つまでしっかりと泡立てる。なにしろこれが肝心のふんわり感の素なのだから。

 四苦八苦の末、なんとか生地を型に流し込み、オーブンにセットすると、ほっと息をついた。とりあえず、レシピ通りにはした。あとは、ちゃんと膨らんでくれるよう祈るばかりだ。

 リビングを覗いてみるとキュウゾウはさっきと同じ姿勢でクマにしがみついている。きっと愚痴を聞いてもらっているのだろう。
 粉だらけの我が身を省みる。ヒヨコも白く斑になりまるで何かの病気のようだ。焼きあがるまで三十分、シャワーを浴びて着替えてきたらちょうどいい頃合だろうとカンベエは浴室へと向かった。

 髪を拭きながらリビングに入るとキュウゾウの姿がない。トイレだろうかと考えてはたと思い当たる。カンベエは慌ててキッチンへ駆け込んだ。
 オーブンの前にはキュウゾウの背中。今まさに開け放たれたばかりのオーブンから、焼きたての香ばしい匂いが流れてくる。カンベエはオーブンの中に両手を突っ込もうとしていたキュウゾウを寸前で後ろから抱きとどめた。

「待て待て待て待てっ!! いくら出来立てを食べるものだと言ってもオーブンから直接食べるなっ! 火傷したいのか!」

 む、と振り返ったキュウゾウが再び視線を前に向ける。

「膨らんでいる」
「うん?」

 見るとオーブンの中には容器から溢れるほどに膨らんだスフレの姿があった。

「おお、上手くいったようだな」

 まだキュウゾウを抱きとめた姿勢のままほっと安堵する。腕の中のキュウゾウが半身をねじってカンベエの鼻をぎゅっとつまんだ。

「何か、俺に言うことはないか?」
「・・・・・。すみません、私が悪うございました。反省してます。そろそろご機嫌を直して、御一緒に焼きたてのスフレでもどうですか?」

 鼻をつままれたままなので響く声がなんだか面白いことになっている。
 キュウゾウはふむと片眼を細めると尊大そうにカンベエに寄りかかった。

「まあ、ひとつくらいなら、俺のスフレを分けてやってもいいぞ」

 カンベエを見上げてにやりと笑う。

「―――・・・ひょっとしてあれはわざとか?」

 そのしてやったりな笑顔にカンベエはあっさりと降伏した。どうやら最近こちらの操縦法を覚えてきたらしい。末恐ろしいことだ。
 使用したスフレの容器は6つ。そのうちの5つがしぼむ前にキュウゾウの胃袋に収まったのは言うまでもない。


(了) 2009/09/16 


● ちょっぴり小悪魔なキュウに翻弄される島田さんでした。
 拍手を押して下さった皆様と、Morlin.さんへ、愛を込めて。


● 勘久サイト『鬼 灯』サマ、粕谷深紘様より。
 9祭りと銘打って、リクエストを募集なさってらしたのへ、
 ちゃっかりと便乗しまして、書いていただいた珠玉の作品ですvv
 大好きな現代設定の“お隣さんシリーズ”で書いていただき、
 とってもとっても嬉しゅうございましたvv
 ありがとうございましたvv
 大切に読まさせていただきますね?

 粕谷深紘様のサイト『鬼 灯』サマヘ →


戻る